吉村郁三教授の時代

 吉村教授は不幸にも眼科学講座創立の激務のためか病床に臥し実質的業務が不可能となり、昭和4年6月15日に辞職した。このため、九州大学眼科学教室に応援を求め、江浦栄山九州大学講師が昭和4年6月4日より本学講師として赴任し、さらに同年6月15日付で今井良平九州大学助教授が本学講師として診療に当り、最初の講座を担当した。昭和4年12月31日江浦講師が辞任したあと、同じく九州大学眼科学教室から田中徳講師が着任し、今井講師が昭和5年7月25日辞任してからは廣瀬金之助教授が着任した同年12月31日まで田中講師が単身活躍した。
 当時は、まだ教室としての機能が充分に発揮するまでには至らず、当時の教室員は講師の他は2名に過ぎなかったと資料には記されてある。